断りたいのに断れない

いつも人に合わせてしまう。

本当は嫌なのに、頼まれごとを断れない。

これくらい、ちょっと頑張れば。

ちょっと我慢すれば。


その、


「ちょっと」


のことを受容できない自分は心が狭いのかな。

そんな自分は相手を不快にするんじゃないか。

そう思いながら生きてきた。



断ったら相手が困るよね。

断ったら冷たいと思われるかな。

断ったら、私が困った時に助けてもらえないかな。

断ったら、関係が悪くなるかもしれない。

モヤモヤして、やるかやらないか、ラインのお返事ができない。

でも、お返事が遅いということは、


やりたくないってことですかー?


って見透かされてしまいそうで、もう考えるのも辛くなって、


うん!大丈夫!😄

みたいに、嫌だってバレないようにサービスのニッコリ絵文字までつけてお返事しちゃう。



嫌な人って思われたくなくて、直接的にハッキリ頼まれてもいないのに、空気に耐えきれずに


私やるよ!(笑顔)


って言っちゃう。

そんでやっちゃう。

結果どっと疲れる。



そんな自分でいることが、だんだん苦しくなってきて。

しかも、頼み事をしてくる人たちが、最初より自分を雑に扱ってくる感じがする。


頑張ってるのに、なんか大事にされない。

もやもやもやもやー







私は変わることにした!!!

断る、、断るぞー!!!




やりたくない頼まれごとを断るぞ!と決意してから、

「嫌われる勇気」

を読んだ。


アドラーさんのありがたいお言葉が書いてあった。

正しい表現は忘れたけど、


「あなたは、他人が自分のために存在していると思ってはいませんか?」


というような言葉が、グッと胸に刺さった。


自分の思考を振り返ってみると、


今まで人が自分の思い通りに動かないと嫌で、受け入れられていないようで、勝手に悲しくなってた。


周りの人が自分に何か与えてくれるのを当たり前だと思ってたから。


だから、なにかを自分に与えてくれない人を、冷たい。と思ってた。

逆に、自分だったら、与えないと冷たいと思われてしまうから、嫌でも与えてたんだなぁって。


与えられることを当たり前と思ってたから、相手に何かを与えるのも逆に当たり前と思い込んでいて。


でも、それって


すごくおかしい!!!


って気づいたら、私にも敢えて与えない。

という選択肢があるとわかって。


逆に与えてもらえないことも当たり前なんだって思った。



頼まれごとを断るのが苦手。

断って、不快にさせるのが怖い。

そう思ってたけど、考えてみれば、誰かの希望ばかり叶えてあげなくてもいいんだ!って思った。


だって、

こうして私がやりたくないことを引き受けたとしても、

誰も私の為には生きてくれない。


だから、誰かの言いなりにばかりならなくていい。

自分だけが自分の為に生きてあげるんだ!!って気づけた。



相手には、頼みたい理由がある。

私には、断りたい理由がある。


だから、私にも断る権利、主張する権利が他人と平等にあるんだなぁって。


そしたら急に気が楽になった。







まず、直接的に頼まれていない頼まれごとはスルーすることから始めた。(やりたくない事)

絶対これは、私にやれって言ってるだろう。と思われる言葉もスルー。


慣れなくて、やっぱりまだ少し心が苦しくなる。


だけど、グッと堪えて、頼まれごとに気がつかないフリをする。


・すごく大変

・すごく困ってる

・もー本当に困ってて(怒

こんなワードがでると、相手の望むであろう言葉をあげたくなるけど、代わりに、


「本当に大変だよねぇ」

「困っちゃうよねぇ」

で切り抜けることに。


一旦それでおさまって、手応えアリ!


しかし!結局直接的な言葉でお願いされることも。


できない事はない。

でも、やりたくはない。

これは、自分がやらなくてはいけないことなのだろうか。

相手にどう思われるか。責められるかもしれない。攻撃的になられたり、冷たくされたり、食い下がられるかもしれない。

そしたらどうしよう、、

そんなことを考えてドキドキしつつも、断ることに。



そしてさらに、断ったことに関して、ごめんね!とは言わないことにした。


すると、意外にもあっさり了解してくれて、スッキリしてしまった。



もしかしたら、頼み事をしてくる人っていうのは、お互いの権利をしっかり理解している人だったのかもしれない。

そんなことを思ったり。




それと、頼まれ事をされたとき、断って人間関係が悪くなるのも恐れていたけど、


自分にも権利がある。


そう思うと、断ったことで人間関係が崩れてしまうような相手だったら、もういらないじゃん。

そんな風にも思えた。


いらない頼まれごとをされることもないしね。

自分の時間を、存在を、そうして断っても関係の続く、自分が心地よいと思える相手に使っていけたらいいなぁって。





それ以来、徐々に断ったり、自分のできる分だけを手伝ったりして快適に過ごすコツがわかってきた。


嫌でも、断らずに引き受けることで、自分が本当に得たいものがあるのならそうするし。

とにかく、断るも断らないも、自分が決めていいんだよって話!


鏡を見なくちゃ可愛くならなくちゃの呪い

曖昧ちゃんです!


可愛くならなくては!!!

そんな思いに駆られて、鏡ばかりみてました。

仕事から帰ると、手鏡をもって何回も顔をチェック。

姿見で遠目からの自分もチェック。

自撮りで写真映りもチェック。

ここ最近、おかしいくらい自分の容姿に固執して、発作的に鏡が見たかったんです。

こんな姿誰にも見せられない、、 

本当に私、おかしい!

そう思いつつも、鏡を見まくってました。



可愛いと言われても納得できない。

だって可愛いって思えない。

憧れる芸能人の使ってる化粧品を使ってみたり、メイクを変えてみたり、髪を切ってみたり。可愛いと思った服を着てみたり。



何か変化を起こすと、少し気に入る自分になる。

だけどすぐに、


あれ?可愛くないじゃん。


そんな気持ちになって、何をしても足りない。

可愛くない自分にガッカリする。



そんな繰り返しの中、可愛くなりたくて、有名なメイクアップアーティストさんのメイクの本を読むことにしたんです。



そこには、目が大きくて、お洒落な顔に、お洒落なメイクを施したモデルさんが載ってました。

少しづつ年を重ねるうちに、経験から、自分に合う合わないってだんだん分かってきたりするじゃないですか。


載っていたメイクは、自分の持つ特徴にイマイチはまっていない気がして、なんだか落ち込んじゃいました。

メイクの部分部分では、真似できるところもあったし、参考になる本だとは思えたのですが、、


自分には合わない!って決めつけるのは良くないってわかってるけど、

私には似合わないんだ。

私はこんな風にはなれないんだ。

なんて、余計に自分は可愛くないんだ。って思えてきちゃって。

モヤモヤしてました。



だけど、その本の最後の方に、

自分の顔を愛してね。

というメッセージがついていて。

自分の顔に嫌なところがあったとしても、好きでいて。って。

完璧に美人でなくても、可愛いポイントや表情はある!って。

そしたら、センス も らしさ も生まれてくるんじゃない?って。



それを読んだら、涙が出てきました。

そこで気づいたんです。



私、自分の中で


「可愛い、これが正解。」


って思える顔のイメージから、減点方式で自分を採点して、自分を評価してたんだなぁって。


今回で言うと、本に載っていた、目の大きなお洒落な顔のモデルさんと、自分を比べて。

違う部分を見つけては、自分の顔をダメだ。可愛くない。って


全然自分の顔とはタイプの違う顔だから、違う部分が多くて当たり前なのに、

違う自分はダメなんだ!

って。


そんな風にダメだ!って決めつけるなんて、よく考えたらおかしいですよね。

ケーキとハンバーグ比べるくらいにおかしい!

ハンバーグたべて、甘くないじゃないか!全然ダメだ!って言ってるのと同じようなもんですよ。笑



私には私なりの顔の可愛さがあるんだ。私は私でいいんだ。

って気が付いたんです。




私、三姉妹の真ん中っ子で。

姉と妹は目が大きくて、鼻が小ぶりで、可愛らしい顔をしてたんです。

それなのに、私だけ目が小さくて、鼻はちょっと上を向いてる。

年が近かったのもあり、周りから比べられて育ちました。

学生時代には、


「お姉ちゃんと妹は可愛いのにね〜。」

「お前より姉ちゃんの方が可愛いよな!」



なんて心無い言葉を掛けられたこともありました。

同級生、塾の先生、親戚、たまたま会った人。たくさんの人から容姿の事で比べられました。

自分だけ褒めてもらえなかった。

自分だけ似てないって言われた。

自分だけ視線をもらえなかった。


自分だけ、違った。

自分だけ、可愛くない。

だから、嫌な思いをした。

そんな思いがずっと胸に刺さってました。


だけど、成長するにつれて、自分の姉や妹を知る人達と関わることも減り、比べられることも減っていきました。


だんだん自分に合うものが分かってきて、自分らしさ、というものも分かってきたつもりでいました。

自分に似合うファッションや髪型、メイクを施し、可愛いと褒められることもどんどん増えていって。

刺さった痛みも、克服できたつもりでいました。



だけどずっと、自分を

可愛い!と認めてあげることができずにいました。

可愛いと思える日があっても、それはすぐに揺らいでしまう脆い自信でした。




それは、自分で自分を、姉や妹とずーっと比べ続けてきたからだったんだ。と、やっと気がつけました。



無意識に比べることをしていたからわからなかったんです。

意識して振り返ってみると、私、こんなことを思ってました。


この人は姉と妹を知らないから。

一緒に並んでいたら私なんか褒めないでしょ。

姉と妹だったらもっと褒められてる。

私なんか目は小さいし、鼻は上向いちゃってるし、全然可愛くないのに。

私なんか。。




こうして文にしてみると、卑屈すぎてびっくりしちゃうんですが  笑

褒められた直後はすごくハッピーで、満たされた気持ちになるのですが、自分でじわじわ打ち消しちゃうんです。


そんな風にしちゃうくらい、きっと私傷ついていたんですね。




姉と妹のように、いつも周りに可愛いね、って褒められる、目が大きくて、鼻が小ぶりな顔が正解。

だから、そうじゃない自分を不正解だと思い込んでいたんです。


だから、不正解である自分の顔を可愛いと言ってくれる人のことが理解できず、そんなわけない!と自分の中で打ち消していたみたいです。




それが今回、


私には私なりの顔の可愛さがあるんだ。私は私でいいんだ!


そう思った途端、不思議と自分がすごく可愛く見えてきちゃって 笑

小さめの目も、少し上を向いた鼻も、ぷくっとしたほっぺも。

なんか癒し系で可愛いなぁ、なんて思えちゃって 笑

そういえばそんな風に人に言われたりするなぁ、なんて急に思い出しました。


メイク本のメイクも、まるまるマネしなくたって、自分の顔に合うものだけを選びとって自分のものにすればいいんだ!って思えました。

それも1つの考え方かなぁって。

私らしさに磨きをかける。

私だけの可愛い、を楽しむために、私に合うものを選んでいこうと思います。



ところで、なぜここ最近、可愛くならなくては!!!

という思いに駆られてしまったか考えました。



それは意外にもマスクがきっかけでした!!


マスクばかりしているため、家族以外に素顔を見せない生活。

だから、だれからも顔の評価を受けることがなくなったため、自分のことを自分で評価するしかなくて。

(そもそも評価なんてしなくたっていいんですがね


姉や妹のような顔ではない自分の顔。

という評価を下した自分の顔を認めてあげることができず、


可愛くならなくては!!!

《脳内解釈》

自分と全然タイプの違う顔にならなくては!!!

そうじゃなきゃ可愛くないんだからぁぁ!!!


と思い詰めてしまっていたようです。



だけど以前から、薄々気づきはじめてはいたのです。



私って、本当は可愛いんじゃないの?

って。


だって可愛いって言われる。

視線を貰える。

可愛いって思える日がある。


だけど、可愛いって自分で決めれなかった。

自分が自分に感じる可愛さに、自信を持てなかった。



だから、鏡をおかしいくらい見まくっていたのかもしれません。

可愛いの?可愛くないの?

可愛く見える。いや、でもどこがどう可愛いのか。。これを可愛いと言ってもいいのだろうか。

だれも評価をしてくれない中、いつのまにか自分に植え付けた評価基準にしばられて、心がごちゃごちゃになってしまっていた。

だけど、自分のことを可愛いと、ずっと認めてあげたかったのです。


そんな時、メイクアップアーティストさんの言葉に気づきをもらい、背中を押してもらえたのでした。



自分で自分に感じる可愛いは、確かに存在するんだ!

可愛いって思っていいんだ!

誰かの顔になろうとしなくていい。自分の顔を愛しく思う。

そしたら、もっと自分を生かせる。

もっと自分らしさが出て、もっと可愛い自分になっていく!



すごくすっきりしました。

たまーに揺らぐ日もあるかもしれないけど、笑

これからも自分の顔を愛していきたいなぁと思っています。

ガリシノブさんありがとう。


いつか、可愛いにこだわらない領域までたどりつけたらいいけど、今はずっと自分なりの可愛いを求めたい気分!今はそれでハッピー!